2010年7月号 海馬と記憶
歳とともに物忘れがひどくなり、歳はとりたくないと思っていたところ、朗報があった。海馬を鍛えれば、物忘れも気にならないと、池谷裕二・糸井重里の対談集『海馬』(新潮文庫)を読んで知った。
1960年代に脳の解剖学を学んでいたとき、脳の奥深くに潜んでいる「海馬」のはたらきは未知であった。ところが1990年代には海馬が記憶の重要な場所で、脳に入る情報を一手に引き受けてさばく場所であり、人間らしさを保ち、生命にとって重要な場所だということがわかった。
おまけに海馬の神経細胞は、脳の他の部分と違って、歳をとっても増え続けるという。旅行をしたり、おしゃべりをしたりすると、海馬は育つという。旅で出会うのは男性より女性のグループが圧倒的に多い。女性の元気な秘密がそこにあるかもしれない。
ところで、脳の中には面白い名称がたくさんある。海馬はその一つで、形がタツノオトシゴに似ているからといわれるが、海馬の学名はhippocampus、これを訳した名前である。元の名称をつけたのはイタリアの解剖学者アランチオ(1530-89)だといわれる。
この時代は学名にギリシャ・ローマ神話から取ることが多かった。おそらくアランチオは神話の中で海神が乗る車を引く動物hippocampusからつけたのだろう。ヒポカンプスは前半身が馬で、後半身が怪魚の怪獣である。海馬は大脳半球の側脳室の下角の壁に沿って隆起しているが、その形が似ているのだろう。
『徹底図解 脳のしくみ』新星出版社発行 イラスト浅野仁志
酒井シヅ(順天堂大学名誉教授)
投稿者 : 2010年06月15日 09:37 : 無断転載を禁じる
